観察しなければ、そこに隠れた意味や本質に辿りつけない


小学生の頃に読みふけったシャーロック・ホームズシリーズの中で、明確に内容を覚えていて今でも大切な価値観にしていることがあります。

いともたやすく推理の筋道を説明してしまうので、私は笑うほかなかった。「君の推理を聞くと、いつも可笑しいほど簡単なので、私にもできるかと思ってしまうね。だけども君の引き出す論拠ひとつひとつが、説明を受けるまで何の事やら。これでも私の目も、君には負けてないつもりなんだが。」
「無論。」とホームズは答え、紙巻き煙草に火をつけ、肘掛椅子に腰を下ろした。「見てはいるが、観察していない。差は歴然だ。例えば、君も玄関からこの部屋までの階段は何度も見ているね。」
「何度も。」
「幾度?」
「ん、何百回となく。」
「では何段ある?」
「何段とな?知らんよ。」
「無論!君は観察していない。だが見るだけは見ている。それが差だ。さぁ、僕は十七段あると知っている。見、そして観察しているからだ。」
(アーサー・コナン・ドイル著 「ボヘミアの醜聞」青空文庫版 より)

これをはじめて読んだ頃は、単に印象深かっただけでこの内容について深く考えていたわけではなかったのですが、社会人になってから振り返ることで実感できたのが、「観察しなければ、知ることはできず、そこに隠れた意味や本質にも辿りつけない」ということです。

コンサルティングやマーケティングに必要な「情報収集・観察・洞察」について、このシャーロック・ホームズシリーズから多くを学んだように思います。

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